帝王電鉄

DQN架鉄上等!時速160キロでビュンビュン走る架空鉄道を思案。生半可な知識とノリだけで作ってみたり。
以下、思い付きの羅列。


【舞台】
舞台は太平洋戦争後の架空の日本。日本史は半分以上無視。

社名は「帝王電鉄」http://m2.upup.be/f/r/VQ7OlRLLOt.jpg

戦前は帝都と呼ばれた新京特別市と、政令指定都市龍王市を結ぶ。
社名は一般名詞の"帝王"に引っ掛けた意図的なネーミング。ただし、一般的には"帝電"と呼ばれる。



【概要】
○路線
路線は新京~龍王の帝電本線(距離は数百キロ)、空港分岐信号所~新京国際空港の空港アクセス線、湯谷温泉へ分岐する湯谷線で構成される。
ただし、空港分岐信号所~空港駅は空港アクセス鉄道公団が保有する。

運転最高速度は、新京~空港分岐信号所および空港分岐信号所~龍王が160k/m。湯谷線は100k/m。

新京~新京国際空港は国鉄と共同運行のアクセス列車を運転。また、空港には、一部の帝電列車(空港快速)も入線する。

○列車の種類
列車の種類は、普通、急行、区間急行、快速、区間快速、空港快速、龍王~温泉急行。
特急は、新京~龍王直通特急、新京~温泉直通特急、国鉄と共同運行の空港アクセス特急。



【歴史】
○開業まで
新京~龍王の国鉄線は明治時代の開通。

大正末期、電源開発と温泉を目的に龍王~湯谷温泉の電鉄開業(社名は「温泉電気鉄道」)。

昭和初期、新京の投資家が中心になって新京~龍王のインターアーバンが企画され、帝王電気鉄道設立。

帝電は温泉電鉄を買収し、線増改良と路線延長を名目とした事実上の免許流用で新京~龍王をほぼ全線新線で一気に開業。
運転最高速度を120k/mとし高架や直線の多い、高速運転に徹した高規格鉄道であった。
また、交通以外の副業として帝王百貨店と不動産開発も手掛けた。

あまりの荒唐無稽さから、開業当時新聞で「電気代未払いで停電(帝電)にならない事を祈る」と揶揄された。


○帝電沿線の交通再編
終起点の中間区間は沿線人口が少ないため、戦前から、既存零細バス会社を買収しつつ駅に接続する路線を強化する(再)編成を行ってきた。

バス路線再編にあたっては、並行路線を露骨に減らして駅直通路線を強化するという強引な手法が目立った。
ただし、駅直通バスは大幅に強化し、バス鉄道連絡切符、連絡定期券を発行してバス&ライド化を推進した。

また、戦時中は交通統合を傘に着て沿線バス会社をほぼすべて統合、日本有数のバス会社となり現在に至る。



○手荷物輸送
大型電動貨車により、国鉄連絡運輸の手荷物輸送を行ってきた。

戦後1980年代初頭、国鉄より早く鉄道による手荷物輸送を廃止。子会社の陸運会社を活用した宅配事業を開始した。
しかし程なくして大手宅配会社に押され、わずか数年で宅配事業は廃止された。



○空港アクセス鉄道と新幹線
・前史
1970~80年代に新京空港が手狭になってきたたため新京国際空港の計画されるが、用地買収に困難をきたし建設が遅延した。

新幹線の新京以北の路線が1989年開業。帝王電鉄では新幹線計画当時から、これに対抗するための更なる高速化が企画されてきた。

後に新空港の用地買収に目途が立ち建設開始され、2005年開業し現在に至る。


・空港アクセス鉄道公団設立
空港アクセス鉄道整備の国税投入に関して、帝電と国鉄への二重投資を避けることが国会で議論された。
その結果、帝電と国鉄の空港アクセス特急の共同運行と、帝電区間の線路容量増強および高速化が国家レベルで決まる。

これを受けて、空港アクセス鉄道整備事業の主体として空港アクセス鉄道公団が設立された。
同公団は、新京~空港分岐信号所の線路容量増強工事を行い、信号所~空港の路線を建設する。
線路容量増強は、さらなる高架化や待避線増設、変電所増設など多岐に渡る大規模なものとなった。

同公団は、空港分岐信号所~空港駅の路線や新設変電所等インフラと、共同運行列車の車両を保有する。
ただし、空港アクセス特急の運転は帝電と国鉄が行う。このため、同公団は、帝電・国鉄運行列車が乗り入れる第三種鉄道事業者となる。



○空港アクセス整備と帝電本線160k/m化
帝電では、空港アクセス整備に便乗して、新幹線に対抗する帝王本線の全線160k/m化計画が具体化された。
沿線自治体を巻き込み、高速化事業の受け皿となる京龍(きょうりゅう)鉄道整備公団を設立。

国鉄は空港分岐信号所~龍王の高速化には非協力的であったため、帝電色の印象を薄める事を意図して、京龍鉄道整備公団と命名された。

【了】


  • 最終更新:2012-12-14 07:12:43

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