帝王電鉄:余談

本題はこちら。

本文は帝王電鉄にまつわる架空鉄道考察。

○余談
帝王電鉄は、DQN架鉄上等と言いながら、スペックや車両数などの数字をほとんど出さず、停車パターンも関連事業も設定せず、路線も一直線+αのみなど、DQN架鉄化にはやや及び腰になってしまった。といって自分は停車パターンも鉄道技術"用語"もあまり分からないので、真似しようがない。

とはいえ、精緻でリアルな架空鉄道に変貌した…とも言い難い。どう見ても過大投資であり、帝電本線160k/m化のための公団は新幹線との二重投資ではないか。
また史実の昭和前期の電力会社と電鉄の関係も踏まえていない。
車両も、特急を通すため、一般通勤型にも高速高加減速のハイスペックを要求するだろう。


結局、DQN架鉄にも精緻な考察系架空鉄道にもなれず。
帝王電鉄は、人情派ではないファンタジー系・心象系架空鉄道といったところだろうか。


○数値に物語を吹き込むということ
帝王電鉄は前述のとおり、ファンタジーだ。
けど……と、続けたい。
「時速160キロ」----ただそのフレーズだけでも、何がしかの背景があれば、そこに物語が生じる。
否、帝王電鉄はむしろ「時速160キロ」ただそのフレーズのためだけの架鉄だ。すべては「時速160キロ」のための物語だ。

「時速160キロ」のための物語……とは、例えば、全線距離や駅間距離が長い、昔から高速指向、距離は短くても何らか公的プロジェクトによる高速化の要求、廃棄された弾丸列車の路盤譲受け…など何でも良い。

そしてそこから「なぜ…」「どうして…」が生じる。先のケースなら、距離はどれくらい、需要や沿線人口の規模はどれくらい、経営陣や時代の気風はどうか、公的プロジェクトは何がいい、弾丸列車路盤放棄の理由は何だろう…などなど。

そこまでくれば「時速160キロ」も、単なる数値を越えた"物語"と化す。

リアリティや"もっともらしさ"とは具体的数値の事ではないし、また「数値」は「物語」の対義語でもない。数字には数字の理由があるのだから。

単に数字を並べるのではなく、数値に物語を与える事、それこそが「世界を創る」という事だろう。

【了】


  • 最終更新:2012-12-14 07:14:02

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